インドの道で少女たちに取り囲まれる
インドで最高の瞬間は、その時やってきた
バラナシで細い路地を歩いていたら、少女たちに囲まれました。
小3か小4くらいの制服を着たかわいい女の子たちが7~8人くらいでした。
時間から考えると、おそらく学校の帰り道でしょう。
路地でバッタリと出会った格好で、私が日本人でクルタを着ていたからでしょうが、彼女たちは私を見てワーーッと声を上げ、私と挨拶を交わしたり私のクルタの袖をさわって「soft!(やわらかいよ!)」と言ったり、みんなでワイワイとたわむれていました。
至福の瞬間でした。
そうです!
これこそが、私がインドで最も憧れていた光景なのです!
でも、写真を撮っていいかと聞くと、「Nooooo」 しかも、いっせいに断られました。「見知らぬ人に写真を頼まれても、写っちゃダメですよ」とか学校で言われているのではないですかね? 数分とはいえ、あんなに私と仲良くなったのに。
写真を撮れずにガックリとする私を置いて、みんなが歩いて行ってしまう中で、一人だけちょっとだけ写されてもいいか迷っているように、腰に手をあてポージングをしながら私を数秒見つめている子がいました。「写真撮ってもいいかい?」と聞こうとしたら、行ってしまいました。ああいう時は、すぐに撮ってしまうべきだったんでしょうね。
夢のようなひと時を過ごして、私は少しボーっとしていました。
メダカ小学校の子供たちは、
インドに旅行に行く前に、メダカ小学校の見学ができることになり、とても楽しみでした。
子供たちが私に向かってみんなで手を振ってくれたり、子供たちの前に立って私がスピーチしたり、インドの子供たちが私を取り囲んでワーワーやったり、そういうシーンを妄想してました。
しかし、現実は厳しく、インドの子どもたちは私にはあまり興味を持ってくれませんでした。
日本人がよく訪問してくるようなので、彼らも慣れてしまっていたのだと思います。
グーグルの翻訳アプリもスタンバイしておいたので、それで会話を試みましたが、どうにも会話が発展しませんでした。
授業をしてくれていたら、その様子を見学できたところですが、あいにく学校はお休みの期間であって、子供たちはその日は成績票を取りに来ただけでした。
しかし、登校日で子供たちがいただけでもラッキーと思わなくてはいけません。本当だったらみんなお休みで誰もいないところでした。
何かネタを用意していくべきでしたね。
ネタがないなら、もっとこっちから積極的に話しかけるなりなんなりすべきでしたね。
甘かったです。
「言葉が通じなくても、心は通じる」などと、よく言いますが、それは「いつでも」というわけではないですね。
彼らはカジュラホの貧しい家庭の子供たちだったのですが、ごく普通の子供たちに思えました。
卑屈になるでもなく、勉強が好きなわけでもなく、インドでも日本の子供たちと何ら変わらなかったです。
小5が卒業生で、私は日本から買っていったプレゼントを渡しましたが、これがまた不評でした。
もう少し奮発していいものを持っていけば良かったと、ここも反省しきりです。
反省すべきは
消極的になりすぎました。
今回のインド旅行全体での、私の反省です。
どこを歩いていてもインド人からガンガン声をかけられるので、基本的に受け身になってしまいました。
まず、声をかけられて、それから無視するか応えるかを考えるという「パターン」が出来てしまってました。
後からふり返ると、そこは自分からもっと声をかけてドンドン行くところだろ! という場面がいくつかありました。
これはインド旅行の「落とし穴」ではないでしょうか。
ラクシュマン君とも、もっと深い交流が出来たのではなかろうか?・・・という反省とか・・
あちこち反省もあるのですが、全体としては、インド旅行を無事に終えたという充実感がとても大きいです。
なんだかんだ言って、とてもいい経験が出来ました。
旅行の面白さは、ルーティーンの日常から、非日常の世界へ行けるというところだと思います。
「駅に行って電車に乗る」というたったそれだけのことで、こんなにドキドキ出来るのってインドだからこそですよ。
あまりにも日本と違うので、毎日がドキドキの連続でした。
インドに行くと、あらためて日本の良さを再認識します。
日本はやはりいい国だなと思います。
しかし、黙ってて相手に理解してもらおうというジャパニーズスタイルの自分のあり方も、反省しました。
あのゴリゴリとしつこいストロングハートは見習うべきところもあります。
私はインドから帰ってきて、少し主張が強くなりました。
受け身で待つのではなく、こっちから交渉していくように心がけるようになりました。
ですから、私の職場に以前より波風がたつようになりましたが、インドを思い出すとヘッチャラです。
これって、成長ですかね?(笑)