あのブッダが! 説法を始めた場所(いわば、仏教スタート地点)へ行ってきました。 ・・インド⑪
早朝のガンジス川ボートツアーを終えて、宿のサンタナバラナシに戻ってきました。
ボートツアーはサンタナバラナシ宿泊客の日本人たちと出かけたのでワイワイと楽しかったですが、ここからはまたバックパッカー一人旅に戻ります。
朝食です。あっさりとしたスープがおいしかったです。
朝食を食べてから、サルナートへ行きます。サルナートはバラナシから近い有名な観光地です。
まずはとりあえずゴードリヤチョーク(大きい交差点)まで行って、オートリキシャ―をつかまえます。
宿で相場は片道180ルピーと聞いてあったので、リキシャ―たちがふっかけてくるところをねばって、何とか往復400ルピーで交渉成立まで行きましたが、そこからなんだかんだと500ルピーにされてしまいました。
制服をいろいろ見つけました。
スクールバスです。
リキシャ―でサルナートへ向かう途中の道で、たくさんの学校帰りの子供たちを見ました。
道を通っていると、制服を来たたくさんの学校生徒さんたちを見ました。女の子もレジメンタルのネクタイをしています。
さわやかなブルーの制服です。インドの女の子ってかわいい子が多いですよね。
若い時から化粧とかもしているみたいですね。
目が合いました。キリッとした美人さんですけど、どこか憂いも持っている大人っぽい雰囲気です。中学生くらいでしょう。
お父さんがバイクで子供を送り迎えしています。3人乗りをしていますが、インドでは捕まりません。
私もインド旅行中に「3人乗り」を経験しました。しかも大人3人で。
サルナート「ダメーク・ストゥーパ」で、ブッダを感じる
バラナシから北西へ約10kmのところにあるサルナート(Sarnath:सारनाथ)。リキシャ―でやってきました。
ブッダがはじめて仏教の説法を行った地であるサルナートは、ブッダが生まれた地のルンビニー、悟りを開いたブッダ・ガヤ―、涅槃に入ったクシナガルとともに、仏教の四大聖地のひとつとされています。仏教徒にとっては大切な巡礼の場所です。
ダメーク・ストゥーパ・モニュメントサイトという公園に入ると緑の芝生が広がっていて、少し歩くとすぐに巨大な「ダメーク・ストゥーパ」があります。
6世紀にアショーカ王が建てたもので高さが42mあります。このダメーク・ストゥーパのある場所がブッダが最初に説法をした場所だと言われています。それを記念して建てました。
この「ストゥーパ」という言葉が、墓地にたてる「卒塔婆(そとば)」や仏教の五重塔の「塔」の語源です。
日本中にあるお寺は浄土真宗だったり日蓮宗だったりといろいろな宗派がありますが、そのすべての元であるブッダが、2500年前に本当にここにいて、しかも最初の教えをここで始めたのです! そんなすごい場所に来てしまったのです! お釈迦様って日本人からしたらすごい人ですよね? そんな場所を訪れて歩いてきたのです。
しかし、実はここにもしつこいインド人が待ち構えていて、私がダメーク・ストゥーパの周りを歩いているとずっと横に並んで歩いてついてきてよくわからないお土産物を売ろうとして、ずっと話しかけてきて面倒くさかったです。早くどっか行ってしまえと思いながら歩いていましたが、インド人は本当にしつこいのです。45℃を超えているというのに、一体何周ついてくるつもりなんでしょうか?(1周であきらめてくれましたが) せっかくこんなにすごいところに来たのに、彼らは興冷めさせてくれます。みなさんも気をつけて下さいね。
かつての僧院、寺院の跡です。
かなり広い範囲にわたって大きい建物がたくさんあったのです。相当たくさんの仏教徒がここで修行していたのです。
アショーカ王の石柱
マウリヤ朝のアショーカ王はインドを統一した王です。アショーカ王はたくさんの人を残虐に殺したようで、それを悔いて仏教に帰依したそうです。インドではマウリヤ朝、紀元後2世紀からのクシャーナ朝、4世紀から6世紀のグプタ朝で仏教が広く信仰されますが、その後、次第にヒンドゥー教が勢力を伸ばして仏教は衰退していきます。そして1203年のイスラム侵攻によってインド仏教は終わりをむかえ多くの仏教寺院は破壊されたのです。
手をつないでデートをするインド人
インドでは結婚は80%以上がお見合いです。(日本の今のお見合い結婚は6%)カーストや宗教の問題があって、同じ階級じゃないとダメらしいです。都会では自由恋愛をする雰囲気があるらしいですが、結婚となると親が見つけてきた相手とお見合いして決まっていくようです。今でもインドではカーストにまつわる事件がいろいろ起きています。
遺跡公園のすぐ隣にサルナート考古博物館があり行ってきましたが、写真撮影は禁止だったため画像は一つもありません。
ムールガンダ・クティ寺院
サルナート遺跡の隣にあるお寺です。多くの仏教徒がお金を出し合って1931年に建立したお寺です。寺院の中には金色の御本尊と、日本人絵師、野生司香雪氏がインド政府から依頼を受けて描いたブッダの生涯をモチーフにした壁画があります。野生司香雪氏は、インド仏教美術の研究のためインドに渡った日本人画家で、壁画には5年の歳月をかけたそうです。
しかし、私が行った時は、なんと営業していなかったので中に入れませんでした。・・・残念!
つづく