首里城 観光のみどころ ・・・液体かけるのやめなさい
沖縄と言えば、首里城!
私が沖縄観光で真っ先に向かったのは、首里城でした。
いつ作られたのか正確な年代はわかっていないらしいですが、発掘調査などの結果、13世紀末~14世紀には存在していたらしいです。度重なる戦争や災害で何度も改築・再建をくりかえしていて、太平洋戦争では焼け野原になりました。平成4年に首里城が復元された後、平成12年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産となりました。
最初にいくつか門を通っていきます。
目次
園比屋武御嶽石門(すのひゃんうたきいしもん)
守礼門を過ぎてすぐあります。
国王が場外へ出かける前、ここで道中の無事を祈願した場所です。世界遺産です。
さあ、城の中へ
歓会門(かんかいもん)
首里城の城郭へと入る第一の門。
中国王朝の公式の使者などを招いたが、そういう人々を歓迎するという意味でこういう名前がつけられました。
ここから、このようにスタンプラリーが始まります。
またスタンプ台には、わかりやすい解説がついているので読んでいくと良いでしょう。
歓会門を過ぎて、ふりかえってみました。
沖縄の海が向うに見えます。
瑞泉門(ずいせんもん)
漏刻門(ろうこくもん)
漏刻(ろうこく)とは中国語で「水時計」という意味です。この門の上の櫓(やぐら)の中に水で時間をはかる水槽(水時計)が設置されていました。太鼓をたたいて時をしらせました。
広福門(こうふくもん)
ちょうど工事中でした。漆を塗り直しているようです。
広福とは「福を行き渡らせる」という意味です。建物そのものが門の機能をもっているのが特徴です。門の正面に向かって左側側が士族の財産をめぐる争いを調停する「大与座(おおくみざ)」、右側が神社仏閣などを管理する「寺社座(じしゃざ)」という役所になっていました。
ここで、ちょうどグッドタイミングで沖縄の踊り(「舞いへの誘い」)を公開していたので、見させてもらいました。
これは、めでたい時の舞いだとのことです。沖縄独特の音楽にのせて、ゆっくりと舞います。
「ああ、沖縄に来たなあ」感が最高潮に達しました。
そして、最後に有料コーナーがあります。
これが有料コーナーの内部の見取り図です。手前が奉神門(ほうしんもん)、奥が正殿(せいでん)です。
左が北殿(ほくでん)、右が南殿(なんでん)と番所(ばんどころ)です。
奉神門(ほうしんもん)
奉神(ほうしん)とは神をうやまうという意味です。入り口が3つありますが、真ん中は国王や中国からの使節など身分の高い人のみが通ることができました。
ここで入場チケット(820円)を買って中へ入ります。
御庭(うなー)
ここです! よく雑誌やサイトなどで見る「ザ・首里城」と言える場所です。
正面が正殿で、右が南殿です。
南殿の隣に番所があるので、そこから入ります。
これは、中で展示されていた模型です。
御庭(うなー)は、こんな風に使われていたようです。
これが、奉神門 → 番所(入り口)→ 南殿 → 正殿 → 北殿 の見取り図です。
正殿
御差床(うさすか)
正殿2階にある国王が座るスペース。
正殿は、1階は国王が政治や儀式を行う場で、2階は国王とその家族、身分の高い女官が使う空間でした。
玉御冠(たまのおかんむり)
金、銀、水晶、サンゴの無数の玉が輝く王冠。ここでの展示はレプリカです。
遺構
床のガラス張り部分から正殿を復元する前の遺構が見学できます。実は、この石積みこそが世界遺産の対象です。
たまたま「琉球の海外交流」という展示もしていました。
江戸時代は、琉球の国王の代替わりごとと、江戸幕府将軍の就任ごとに使節団を派遣していました。この「使節」が「江戸上り」と総称され18回実施されました。使節は、100人が海路と東海道を300日かかって移動する大がかりなものでした。
とても興味深かったですが、二時間集中して見ると頭が疲れます。
お見送りしてもらえます。
つづく